丹賀砲台園地豊予要塞の一角を担うはずであった丹賀砲台…
記念ドーム外観
記念ドーム内部-
地下道
悲劇の巨砲 丹賀砲台!
砲塔井には今も爆発事故のあとが残り、厚さ2メートルを超すコンクリートに刻まれた傷は爆発の大きさを記しています。
砲塔井の直径は10メートル、深さは12.8メートル。もっとも薄いところでも2メートル以上の鉄筋コンクリートでできています。
丹賀砲台には巡洋艦「伊吹」の後部主砲45口径30センチ2連装カノン砲を転用し据えられました。
砲塔井へ行くには斜坑を通るのですが、リフトでおよそ3分で登れます。階段は162段あり、すべて御影石(花崗岩)で作られています。幅は狭く、最大傾斜角度は45度全長80メートルの急階段です。
現在リフトがあるところにはベルトコンベアがあり砲弾を運んでいました。
現在はドーム状の屋根を作り貴重な戦跡を風雨から守っています。
中央のらせん階段を上るとコンクリートに刻まれた爆発事故の痕跡がよく見えます。
屋外に出ると砲台跡から豊後水道が望めます。
砲塔は南西方向、鶴御崎半島と大島の間にある「元の間海峡」を向いています。
爆発事故で亡くなった内藤中佐以下16名の名前が彫られた慰霊碑があります。
隣接して、太平洋戦争で亡くなった旧鶴見町の方々465名の名前が刻まれた平和の塔があります。
地下に作られた弾薬庫は出入り口が2ヶ所あります。
大正15年10月に起工し完成は昭和8年10月、8年の歳月をかけて建設し工員が増えることで町は賑わったそうです。
昭和16年12月、真珠湾攻撃があり大戦がはじまりました。
翌年の昭和17年1月11日、戦闘に備えて実射訓練を開始。8発を発射し最初の4発は射程距離1万メートル(10km)、後の4発は射程距離2万メートル(20km)を発射。
最後の1発が砲身の中で暴発し、砲塔井の根元から吹き飛ばされました。
爆音が地区に鳴り響き窓ガラスが割れ、真っ黒い煙が立ち上りました。
亡くなった方々は事故死として処理され補償もなかったそうです。
丹賀砲台の建設総監督をした「久保禎三」は後に戦艦大和の設計をしたそうです。
主な施設:
○ 丹賀砲台公園
○ スロープカー
○ 記念ドーム
○砲塔井(バーベット)
○主動力室
○水圧蓄力機室
○ 地下砲側弾薬庫
○ 遊歩道
○ 忠魂の碑
○ 平和の塔
○ 女郎崎展望台
○ ハマカンゾウ群生地
○ 駐車場
○ トイレ



