城下町佐伯 国木田独歩館明治の若き文豪「国木田独歩」が過ごした佐伯での日々に、想いをはせるひととき・・・

城下町佐伯 国木田独歩館(主屋・二階)
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城下町佐伯 国木田独歩館(土蔵・二階)
城下町佐伯 国木田独歩館は、明治26年(1893年)10月から明治27年(1894年)7月末までのわずか10ヶ月間、当時22歳の国木田独歩と弟収二(15歳)が下宿した坂本永年邸です。坂本永年は、独歩が教師を務めた鶴谷学館 の館長であり、公私ともに面倒をみていました。独歩は主屋2階に下宿。裏山にあたる城山の山上まで散歩することも多かったようです。当時の佐伯の人口は5000人ほどの町でした。
このような佐伯と独歩のかかわりを、彼の過ごした坂本邸でご紹介するために建物を修復、「城下町佐伯 国木田独歩館」として公開することになりました。展示は大きく主屋と土蔵に分かれ、それぞれ1階と2階をご覧いただけます。坂本邸は幕末の頃に建築されおり、すでに150年は経過しています。古い日本建築と城山を借景とした庭園の美しさをご覧いただき、明治の若き文豪が過ごした佐伯の日々に想いを馳せるひとときを、どうぞごゆっくりお過ごしください。
【 国木田独歩と佐伯 】
明 治26年(1893年)、佐伯町鶴谷学館教師(教頭職)として、弟と共に来佐した国木田独歩(くにきだどっぽ)。後に、明治を代表する文豪として評される人物です。 佐伯滞在はわずかに10ヶ月でしたが、尺間山、彦山、元越山(もとごえさん)などの山々に登りました。なかでも彼が最も愛し、何度も登ったのが城山でし た。その様子が、彼の日記「欺かざるの記」にくわしく記されています。城山の山頂には「独歩の碑」建てられています。
佐伯滞在の経験は、後に彼が表す作品に大きな影響を与えることとなり、「春の鳥」「源おぢ」「鹿狩」など、佐伯を舞台とする作品として結実しました。佐伯を離れた独歩はその後「武蔵野」という有名な作品を残し、37歳という短い一生を終えました。
生年:明治4.7.15(1871.8.30)
没年:明治41.6.23(1908)
国木田独歩と弟収二の歳の差は7歳
【 主 屋 】
主屋一階には、独歩が過ごした明治時代の佐伯を紹介するコーナーや、独歩の作品に登場する情景をイメージした映像表示・企画展示室があります。
主屋二階は、独歩と収二が下宿した部屋です。低い天井が特徴で、独歩は窓から「元越山」を眺めていたといわれています。
【 土 蔵 】
土蔵一階では、独歩の生い立ちや文学的な特徴を、資料とグラフィックで展示・解説しています。「独歩デジタル文庫」では、佐伯にかかわる作品をわかりやすく、画像と音声で説明する電子ブックを用意しました。独歩文学の魅力を、ごゆっくりお楽しみください。
【 裏 庭 園 】
城山の麓にあたる地形を活かし、立体的に構成された庭園です。坂本永年の時代にすでに築造されていました。山際からしみ出る湧水をためた池と古木が、武家屋敷らしい風情を醸し出しています。
主な施設:
○ 主屋(一階・二階)
○ 土蔵(一階・二階)
○ 裏庭園
〈関連リンク〉
文豪ストレイドッグス × 城下町佐伯国木田独歩館 スタンプラリー in 佐伯